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暗闇と白い天井−5
急に下痢をし出す。水のような下痢。畜便袋にはただ水がたまる。人工肛門を増設しているから排便は腹の左よりおこなう。人工肛門というからにはお腹に器具が付いているのかと思っていた。実は腸を切り、体外に腸を出しただけのもの。そこから水同然に流れ出る。
薬を飲んでも止まらない。なおも下痢が続く。ドクターより禁飲食を言われる。やっと少なくなってきた点滴だけど、また体中に点滴が刺さる。都合7本が同時に刺さる。食べ物どころか水さえも口にできなくなった。折角の4人部屋から個室に戻される。
「どうしたんだ?」
「僕は大丈夫だ。ただお腹を壊しただけだ」
そういう僕の叫びに
「こんな水のような下痢が続いているのが大丈夫な訳ないだろう!」
とドクターの声が響く。
母が呼ばれ、病室の外で会話がされている。『死』という言葉が部屋の外より聞こえてきた。僕が死んでしまうのか? …死… そうか、死か。しかし不思議と恐くはない。
『死』普段はあまり意識したことのない言葉。言葉自体はしばしば耳にして、誰もが必ず一度は体験すること。だけど、普段はあまり意識はしない。その言葉を今は強く意識する。恐くはないけど、どこか悔しい。
「どうやら死ぬのかな…」
死ぬってどういうことだろう。
救命救急にいた頃に、意識のレベルが下がりながら思ったことは、死ぬってこのまま目を閉じて眠りにつき、そしてそのまま目を覚まさないだけの話なんだろうなってこと。
死ぬ事なんて恐くない。意識を失いあとは何もない世界。否、世界なんてない。深い眠りについて朝が来ないだけのこと。そうか…、いや、違う。今、ここで目をつぶるともう朝は来ないかもしれない。「死」がすぐ隣に、確かに現実としてある。
意識が遠のいていく…
1年以上後で聞かされたのだが、どうやらここで下痢が治まらなければ病室の外から聞こえてきた声のように、確実に死んでいたそうだ。 直腸破裂により、大腸菌が筋肉内に入り込むと、状態が良くなった頃、そう、事故に遭って2〜3ヶ月した頃に下痢をおこして、急に死んでしまうそうなのだ。
意識が戻ったときは生と死の狭間より戻ったとき。
二度目の生と死の狭間から戻ってきたとき。
続いていた下痢も収まり、容態は安定してくる。結果的に言うと、僕はこうして生きられた。その後もしばらくの間は『生』と『死』の狭間で生きていた。確率で言うと、生きる確率よりもはるかに高い可能性で、腰や尻周りの筋肉の間に大腸菌が入り込み、筋肉がスポンジ状になることにより『死』という道を進む筈だったらしい。
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この頃から、看護婦さんや、リハの先生とは、もっぱらこれからのことを話す機会が多くなる。 自分はどうやって生きていけばいいのか、自分はどうなっていくのか。明確な答えが得られないまま、今を生きることに繋ぐ。
下痢が続いた後、死の淵より戻ってきた頃からだろうか、自分の意識に変化が現れだしたのは。 未だ死への恐怖はないものの、生きていく気持ちも出てきた。 もっとも、そんな単純なことではなく、痛み止めの投与による薬物中毒という自己破壊も経験し、それより這いあがるために気が狂うような経験もした。 そんな中で『生きたい』という気持ちが芽生えてきたのだろうか。よくは分からない。
何となくでも生きたいという気持ちが芽生えてからは、自分の怪我のことを調べるようになった。 調べるといっても自分で本をみることができるわけではないから、母や知人に色々と調べて貰う。
頚髄損傷、脳より伸びる脊髄に損傷を受ける。圧迫骨折や脱臼骨折により脊髄に損傷を受ける。 損傷部位により麻痺の程度が違う事、損傷部位の支配神経により、どこの機能が特に衰えるかとか機能が麻痺するかとか。
いくら生きるという気持ちが出てきても、一生歩けないと言うことを見せつけられると落胆する。その感情の起伏は激しい。現実を見つめることが辛い。どこかに逃避する場所をつくろうとする。だが逃避する場所はない。
生きること、だが、生かされることという意識は拭いきれない。
心が安らげるのは母の笑顔と、彼女の笑顔。それと看護婦さんの元気。
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右腕は肘も手首も宙ぶらりんのまま。右肘・手首も同時にオペをすることになった。もう何度目のオペだろう。
オペが終わり麻酔から覚め意識が戻る。首に激痛が走る。先回のオペのことがあるから強い痛み止めは出してもらえない。弱い痛み止めでは痛みは収まらない。また痛みとの戦い。
しかし、僕にとってはとても嬉しい出来事があった。正式にリハビリを専門とする病院に転院することが決まり、首の骨もほとんどついたのでハローベスト外すことになったのだ。
ハローベストを外した日のことは忘れられない。首や胸の辺りの開放感。しかし、首を左右に動かすことが恐い。恐い中でゆっくりと動かしてみる。しかし、固定されるものがなくなったのに首は上下左右にほんの少し動くだけ。ドクターが言うには首の筋力が落ちているからだそうだ。しかし左右にほんの1センチくらい動くだけでも嬉しい。上下にほんの1センチくらい動くだけでも嬉しい。視界が格段に広くなった。
これなら手首や肘の痛みも我慢できる。たかだか骨折しているだけの話。なんてことはない。
結局、入院してから4か月ほどで骨盤の金具や首のハローベストといった器具を取ることができた。もうじきに転院することになる。 これからはリハビリを専門とする病院に入院することになる。
PTの先生が言う
「ここに入院している間に車椅子に乗せることは出来なかったよ」と。
PTの先生の目標だったらしい、僕をベッドから車椅子に移して、病院内を少しでも連れていってあげたかったとのこと。
小雪の舞う寒い日。僕はストレッチャーに乗ったまま、看護婦さんのいくつもの笑顔に見守られて転院することになった。
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